これまでの投稿

田村明研究

2016年

9月

22日

田村千尋講演会『田村明の思想に影響を及ぼした家族、そして……』

 本研究会の定例公開講演会を2016年9月12日(月)午後6時より8時30分まで、桜木町の市民活動支援センターセミナールーム2号で開催しました。参加者は12名でした。

 

 講師の田村千尋さん(本研究会理事長)が田村明の思想形成に影響を与えたご家族それぞれを詳述しました。田村家は父親の田村幸太郎(こうたろう)、母親の忠子(ただこ)と長男の忠幸(ただゆき)、次男の義也(よしや)、三男の明(あきら)そして四男の千尋(ちひろ)の男四人兄弟です。特にこのなかで、次男の義也さんがおおきな影響を明さんに与えた、というのがこの講演の趣旨となっています。義也さんは学徒出陣から特攻要員となり、どうにか生きながらえて慶應義塾に復学しました。その後、戦後間もない岩波書店に入社し、雑誌『文学』の編集長をながく務め、途中、革新的な時代の潮流を先導した『世界』編集長も務めました。装丁家としても有名です。家族が語る田村明像は深層心理に迫り、かつ深い愛情に満ちた分析となっています。

 

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2015年

11月

19日

11月7日(土)田村ゼミ卒業生との合同研究会の報告

NPO法人田村明記念・まちづくり研究会*法政大学田村ゼミ卒業生との合同研究会

開催日:2015年11月7日(土)午後2時~5時

場所:横浜市民活動支援センター4階ワークショップ広場

 

 教育者・田村明は、決して持論や経験を押し付けることなく、若者の自主性を待ちつづけた。かつ、不確かな知識や情報で語ることはせず、常に自分自身も学び続けていた。自立した若者たちは世の中に巣立ち、それぞれの分野で自覚ある市民として活動しつづけている。これらのことが、法政大学法学部政治学科田村明ゼミの卒業生たちとの対話から明らかになった「教育者・田村明像」である。横浜市役所のかつての若手職員たちが田村明を囲む自主勉強会で感じた「まちづくり実践者・田村明像」と同じであった。今回ゼミ生の方々にお会いできて、よかった……と思った。

(文責:田口)

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2015年

11月

19日

田村明さんが指摘した「地域づくりの6つの欠点」と黄金町

 残念ながら、田村明さんには、黄金町の取り組みが始まった2005年以降、街を見てもらったことは記憶にない。ただ、田村さんが亡くなる1か月前に伊豆の自宅を訪ねた際に、黄金町について説明した記憶がある。話の中では、都市デザインはハードの整備だけではなく、地域とのかかわりやまちの人との協働作業が行われて、初めて都市デザインを進めていくことになるというニュアンスの発言をされていた。


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2015年

7月

12日

田村 明・旅(2)

本研究会理事長・田村千尋氏によって書かれた「田村 明・旅(1)」の続編にあたる文章です。

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2015年

7月

12日

鈴木伸治先生の講演感想

 今回、横浜市立大学教授の鈴木伸治先生にお話頂いた田村明像は大変思索に富んだ内容でした。生前、明が書き残した出版物をよみなおし、彼の行動、実践を文面に表れた思想を再評価しして頂いたものです。その内容は明が過ごした空間的な、時間的な変化を追い、その立場の違いから見えてくる姿を掘り越しながら鈴木先生の思いをお話し頂きました。時代を追って明の論調に多少の変化が読み取れるところと変化しない信念のような物を感じる所があった。結論として、その一貫性は内村鑑三著の「後世への最大遺物」にその源流を見た。彼の精神的背景は無教会的キリスト教精神を感ずるようになった、というお話でした。彼の意志、思想に共感する身内の者として大変嬉しいご評価を頂いた、と思いました。有り難うございました。(文責:田村千尋)

2015年

5月

17日

田村 明・旅(1)

 今年2月19日(木)に本研究会幹事・田村千尋氏による講演会「田村明・旅」が横浜まちづくり塾において開催されました。その時の講演内容を基に同氏が新たな文章を書き下ろしたので、ここでご紹介いたします。

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2015年

3月

26日

田村明の初仕事としての香川県観光総合計画づくり

左端:田村明 中央:高山英華 右端:浅田孝
左端:田村明 中央:高山英華 右端:浅田孝

 環境開発センターによる初仕事となる『香川観光綜合開発計画マスタープラン報告書』を横浜菊名の田村明さんの書斎で発見した。不思議なことに報告書に年代が記されていないが、1962(昭和37)年当時のものである。浅田孝が主催する「環境開発センター」に入社する田村明はまだ日本生命大阪本社にいた。田村は前年、休暇をとって浅田孝たちの作業を手伝った。高山英華東大教授も加わり、瀬戸内海でタコ釣りを楽しんだ写真らしきものが残っている(田村家資料)。そして、田村明は入社前の1962年8月、環境開発センター名で『地域計画機関のあり方について』を発表している。まだ日本生命在職中だったが、これから転職する都市計画事務所のあり方と決意を述べた。総合的でなければならない、と提言した。田村36歳であった。1962年暮、都市づくりを行うプランナーになるために東京に戻り、1963年1月環境開発センターに正式に転職する。

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2015年

2月

22日

他研究会報告・田村千尋講演『田村明・旅』

 

 2月19日木曜日午後6時40分より横浜駅西口神奈川県民サポートセンター会議室で、本研究会幹事、田村千尋による講演会が開催されました。横浜田村塾と呼ばれた横浜まちづくり塾(真矢正弘幹事)の主催で、多くの聴衆が集まりました。

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2015年

1月

30日

2/19 横浜まちづくり塾(田村塾)田村千尋氏 講演のご案内

 当研究会幹事の田村千尋氏が横浜まちづくり塾(田村塾)の2月例会で講演を行います。テーマは「田村明の旅、そして田村明への旅~田村明が見た世界、田村明がめざした『想い』~」です。申し込み方法など詳しくは下記のPDFファイルをご確認ください。

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2015年

1月

15日

田村明とイラク国バグダッド市での都市づくりの関係が明らかに

これまで不明だった横浜市在職中の田村明が関わったといわれるバグダッドの都市計画コンサルタントの内容が明らかになりました。1980年当時日本のコンサルタント団を率いていた現日本開発政策研究所の小林正一社長にお話を聞きました。

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2014年

9月

10日

田村明博士論文『宅地開発と指導要綱』を公開

田村明さんが横浜市を辞める直前に執筆され、1980年10月に東京大学(工学部都市工学科)に提出し博士号を授与された『宅地開発における開発指導要綱の成立過程とその基礎的都市環境整備への効果に関する総合的研究』の論文を全ページを掲載します。

宅地開発指導要綱に止まらず、自治体が開発をコントロールするということ、主体性と総合性をもった自治体機能としての企画調整のあり方など多彩なテーマを扱っています。是非、熟読ください。

なお、当該史料は1981年3月付けで私家版として出版されたものを田村家の承諾を得て複写公開します。

 

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2014年

6月

01日

内藤惇之さんよりご意見を頂戴しました

内藤惇之さんからの2014年5月21日付メールです。

 

内藤です。過日の研究会にお招きいただき有難うございました。40年ほど昔のことであり、記憶に曖昧なことが多かったので多少訂正が必要なことがあるかも知れません。その節はよろしくお願い致します。

今度送っていただいた「田村明」資料で、田村さんの部下として伺っていたことで、若干検証していただきたいことが有りますので、以下にメモを書きます。 

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2014年

4月

02日

日本の都市計画家の系譜

田村明を日本の都市計画家の系譜のなかで、どう位置づけるか、簡単な話ではない気がする。日本の、といっても近現代の話で明治以降となる。かつて、田村明に学んだ者たちは「田村明を除いて現代を代表する実践的都市計画家は存在しない」ほどの熱烈なる思い入れをもってしまう。

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2014年

2月

05日

田村義也と藤森照信との意外な接点

 読売新聞に連載されている建築史家藤森照信の自叙伝に田村家の次男坊である岩波書店編集長の田村義也が突然飛び出してきた。

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2014年

1月

25日

田村明さんの追悼

2010年1月25日伊豆熱川で田村明さんは永眠された。横浜から葬儀のお手伝いに勝手に出向いてきた弟子ふたりが見たのは、奥様と弟さんに見守られベッドに横たわる亡がらと海から浮き出てた伊豆諸島であった。

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