横浜市の情報公開制度により昔の決裁文書(稟議書)を閲覧しコピーを入手しました。目的は、高速道路地下化に関る文書を発掘することで、昭和43年前後を重点的に調べました。
当時の企画調整関係の文書類は現在、市建築局が保管していました。当時の経緯を詳細に追える資料はあまりありませんでした。保管状態も当時の紙はボロボロで崩壊寸前でした。しかし、昭和44年3月時点での地下化の最終決断をする市長決裁文書を発見し、それに添付されていた昭和41年9月29日付の首脳部会議資料としての「横浜都市高速道路計画」説明資料を発見しました。決裁文書には田村明企画調整部長の印もあり、時代の動きを感じます。当該首脳部会議資料は田口がタイプ打ちをしてワード化しました。この都市高速道路計画は、当時の市高速道路建設準備室・池澤利明室長が中心となり建設省や首都高速道路公団なども参加して、おそらく京都大学土木学科の佐佐木綱教授が委員長となり策定したものです。この計画内容については、環境開発センターにいた田村明も熟知していたはずです。
この中で興味深いのは、狩場線と呼ばれる横浜都心部と東名高速道路を結ぶ「南北線」ルートとして新吉田川(「吉田川」とも呼び、現在の大通公園)が候補にあがり、計画中の「大通公園」と衝突するとの懸念がすでに表明されていることです。
関内駅裏から大通公園を通る高速道路計画の図面はまだ発見できませんが、発掘に向けて努力しております。
横浜市への情報開示請求
横浜市方針決裁書
高速道路に関る横浜市首脳部会議用資料
横浜市首脳部会議用資料(現物)