市史資料室での副本づくりに向けた整理作業で、昭和43年3月22日首脳部会議議事録とその添付資料を発見しました。田村明が横浜市に入る直前での高速道路ルートと形態に関する緊迫した会議の状況が読み取れます。飛鳥田市長のこだわりと抜きん出たリーダーシップも垣間見られます。また、運河埋立を認める過程で、昭和41年7月当時の横浜市河川利用審議会で高速道路の地下化を求める行き詰る議論もあり、詳細は近いうちにお知らせします。