皆様へ、田口より
ご報告します。今日5月4日夕刻で3日間に亘る横浜市史資料室での田村明寄贈資料の整理が終了しました。
5000点の資料からまず約200点を抽出し、それらを副本づくりに回すかの判断をしておりました。
おおくの資料を閲覧しました。貴重な資料も確認しました。
田村明さんの静岡高等学校時代からの書簡から日記類も多数発見しました。
悩みながら国の官僚時代を過ごし、また悩みながら大阪の日本生命時代へと突入した様子が垣間見れます。
飛鳥田市長が横浜を去ってから、2年後に飛鳥田さんから田村さんに届いた私信の、なんと思いやりの深いことかと感心しました。
飛鳥田さんと田村さんの関係の深さと暖かを垣間見ました。
細郷市長の下でおおいに悩む田村明さんの気持ちを赤裸々に書いた日記もありました。
昭和43年3月22日の首脳部会議議事録は生々しい高速道路に関する緊迫したやり取りを伝えていました。
高速道路地下化に係るそれまでの経緯と事情も詳細に分かります。前回研究会での発表はそれなりに修正する必要がでてきました。
環境開発センター設立の裏話らしきものも推測できます。
環境開発センターから横浜市時代の貴重報告書も多数発見されています。
内部メモもそれなりにあります。
非常にプライベートなものもあり、それらに限っては今後の公開にご親族の了承が必要となるでしょう。
ただし、これですべてのストーリーが完璧につながるものではありません。
当時の担当者の方々にまだまだ多くのことをお聞きし、お持ちの資料の提供をうける必要は益々増えてきたともいえます。
分かった部分と不明な部分が地図に描けた、という状態です。
我々はまず、田村明さんの業績を客観的かつ科学的に分析することを行います。
ただし、一番重要な次なる段階は、それから次世代への「有用性」を紡ぎだすことです。
それなくしては、単なる歴史物語に終わります。それ以上のものを是非、皆様のお力を得て発展させたいと強く願います。
では又。