田口会員より1年以上に亘る調査研究活動を経て、「みなとみらい21事業の経緯」を分析した論文発表がなされました。まずは、会員(正会員、賛助会員)限定で論文発表会を聞き、当日参加した会員間で意見交換が活発に行われました。
田口論文は、昭和39年の六大事業構想の提案に遡る戦後直後から、田村明が横浜市に入り現場で三菱や国鉄との調整を図り、田村が持論とした「民間主体の開発」方式を昭和53年3月まで追いかけた第一期から始まります。造船不況や飛鳥田市長退任で三菱造船所移転問題が停滞した後に、飛鳥田を継いだ細郷市長を補佐して企画調整局の小澤恵一企画課長が、再び三菱との再調整を図り、事業化の枠組みを作った第二期に繋がります。開発に不安をおぼえる三菱は先導する公的開発を求め、結果として港湾業界の圧力もあり、みなとみらい21の事業規模は大きくふくらみ、埋立地が拡大していきます。57年4月の小澤異動後に着任した、同じく田村明の薫陶を受けた廣瀬良一が、みなとみらい21の事業化を受け継ぎました。廣瀬は三菱からも土地の譲渡を受け、関係者が共同して事業化を開始します。ただし、当初からの懸案事項であった国鉄との調整は遅れてしまったのです。なお、当該論文はまだ途中段階であり、当時の関係者を含め会員からのフィードバックを受けた上で、最終的な取りまとめを行うこととなりました。
そして、NPO法人設立1周年記念で来年4月に講演会を予定することとなりました。当該講演会は、田口論文の正式発表と、田村眞生子様よりの依頼で鈴木伸治教授が担当されている田村明の論集づくりの完成記念ともなります。
また、寺澤会員より『みなとみらい21地区に明き地を』という研究提案がありました。元々江戸時代の火よけ地である「明き地」を現代の都市づくりで位置づけ直し、都市の建替え等に活用する。詳細は近日中に、寺澤会員よりメモが出される予定です。