公開研究会の開催:2018年12月18日(火)午後6時より、桜木町市民活動支援センター4階セミナールーム2号で。
話題提供者:青木淳弘(当NPO法人正会員)
参加者:12名
The final book published by Akira Tamura is "Citizen's Government" of 2006. He strongly advocated the theory that responsible citizen essential for autonomy of local government is to be evolved from local resident through conscious involvement to local issues. However, his views towards responsible citizenship had evolved through different eras of his career.
田村明は都市プランナーとして「市民」という言葉を、自己の仕事環境と時代の変化のなかで微妙に使い分けてきた。田村明の最後の著書が『「市民の政府」論』2006年刊であるように、横浜のまちづくりで活躍した田村にとっての「市民」とは何か、を研究会として今後継続的に探っていきます。
NPO田村明記念・まちづくり研究会 公開研究会 2018年12月18日
田村明にとっての「市民」とは:議論のまとめ
<全体の流れ>
議論の中心は、韓国の研究者と共同で進めようとしている「田村明のいう「市民」とは何か」という大きなテーマについて、答えを出すのではなく、参加者同士の議論の中からその探究の方法を考えるというものであった。
まずこれまでの共同研究の経緯を説明し、田村明が「市民」という言葉を最初期のテキストからこだわって使い続けてきたということに関するスライド発表を行った。その後、現在取り組んでいる研究について、田村千尋氏と共同で行おうとしているテキスト分析の簡単な紹介。そして田口俊夫氏から、主に取り組んでいる飛鳥田市政期の市民運動(住民運動?)についての研究の概説的な報告がされた。そのうえで参加者全員が討論を行った。
<青木報告について>
(記録が残っている中で)田村明が最初に雑誌に寄稿した『毎日グラフ4月号』で、彼はすでに「都市は市民のためにある」という主張をしていた。まだ横浜市奉職前であり、議論の内容は抽象的であるが、後に田村が論じる中心的なテーマに「都市と市民」があったということは疑いない。田村は横浜市奉職後には、「市民の側にたつ「行政体」が必要」であるといい、自治体こそがそのための都市づくりの中心にならなければならないと主張するようになる。そしてこの「行政体」を1990年代後半くらいから、「市民の政府」と呼ぶようになった。最終的には『「市民の政府」論』では、それを「かつての民衆を支配した、『お上』の対極にある、混乱した地域と孤立化した人間を支えるには欠かせない、ヒトのココロを優先させる地域経営の装置」なのだと論じている。
基本的に田村明にとっての「市民」や「市民の政府」を考えるうえで、自治体の内部の関係、そして自治体と市民の関係のふたつが中心的なテーマとなる。したがって時代ごとの田村明の言説の変遷を軸に置きながら、この両者に対してそれぞれアプローチしていくことが今後の課題となるだろう。
前者については、横浜市において田村が「市民のための都市」を実現しようとしていた企画調整局が、どのように展開して、そしていまの横浜市や他の自治体などにどのような足跡を残しているのかということを検討すべきだろう。この検討作業から田村明の「市民の政府」についての輪郭が描き出される。
また後者については、飛鳥田市政期の「市民運動」との関係や後の逗子市の事例なども考慮しながら、田村明が「市民」をどのように捉えていたのかを明らかにする。そして田村明にとっての「市民の政府」との関係と照らし合わせるなかで、田村明にとっての「市民」とは、という問いに対する答えに近づけるだろう。
<討論から出てきた意見>
・ 田村さんにとって決定的だったのは、やはり横浜市企画調整局時代のことであるが、田村さん自身は市民運動と直接対峙することはなかった。
・ 横浜市の職員をどんどん出向かせて、現場レベルでのしっかりとした対応が求められた。
・ 田村明が「市民」といっても、終始一貫して同じことを意味していたわけではなくて、時代によって意味する内容を変えていったのではないか。
・ 飛鳥田市長や田村さんは全市的な意味での「都市」という考え方をしていたが、市民運動の側は必ずしもそうではない場合もあり、かなり限定的な地域の利益を主張することもあった。全体の利益と個別の利益が噛み合わないときに、それは市民運動という形で横浜市と対峙することになったのではないか。
・ 田村さんは「市民」とは「自覚した責任と権限を有する」という。つまり「権限」があっても「責任」がないのでは「市民」とはいえないのではないだろうか。日本の場合は特に所有権が強いため、よりよい都市の実現のためには「責任」と「権限」の両方をしっかり持つということが不可欠である。田村さんはそうした意味も込めて「市民」という言葉を使っていたのではないだろうか。