Now I am in New York, doing a research work about the Lower Manhattan Expressway and the Lindsay administration who terminated its project for ever. Among reseach scholars, this subject has been only discussed on viewpoint of the relation of Robert Moses and Jane Jacobs who battled for a decade with their totally different planning philosophies. However, after their leave from the stage of this project in 1968, it was not clear how the Lindsay administration had conducted its planning process of this highway project and finally reached the decision to end it. This time I have come to the assumption that mayor Lindsay had tried to become independent on local initiative over proceeding the project for New York City, since I have attained some related date and documents from the achives of Department of Records & Information Services, NYC. I will open them when I finish my dissertation about this subject to be submitted to the International Planning History Society. By Toshio Taguchi
いま、ニューヨークにいます、実に有益な旅でした。ここに来ないままで、国際都市計画史学会IPHSへの提出論文を書いていたら、大きな恥をかいていたはずで、内心寒気がします。Lower Manhattan Expressway(“Lomex”)をロバートモーゼスMosesとジェーンジェイコブズJacobsの関係だけから見る本や研究ばかりですが、実は二人は1968年にこの件の舞台から去っている。リンゼイLindsay市長によるLomexの廃止宣言は1969年ですから、「空白の1年間」があります。当然、行政内部は盛んに「ある検討(”JointDevelopment”という高速道路の上空利用)」を進めていて、それが結果としてダメになった、ということですが、外の人にはわからない。その市長声明文を見つけ、それに結び付く1968年からの二つの調査研究報告書も見つけました。ほとんでNY市の公文書館(NYC Records & Information Services)に日中いて、情報を引き出そうとしていました。そして、それをもう一度検討して、再び必要書類を探しにいく、そんな毎日でした。この事案は、それまでMoses主導で進められていた計画を、Lindsayが市長の下に引き戻した「自治体の主体性」の問題ともいえます。同時代、1968年の横浜では飛鳥田・田村が国から行政運営の主体性を取り戻し、高速道路地下化問題を解決した。リンゼイ市長が高速道路計画廃止宣言をしたのは、1969年5月4日です。横浜でも建設省の正式な方針変更が出たのが同じ5月です。結果として、ニューヨークは高速道路建設に失敗したが、横浜はどうにか成功した、と評価します。NY市ではリンゼイ市長の下で、アーバンデザインチームがまとめ役となっていた雰囲気です。横浜の田村もアーバンデザイン的発想をもっていた。面白い話の展開となっています。詳細は、帰国後に報告会で。(田口俊夫)