公開研究会
日時:2016年7月29日(金) 午後6時より
会場:横浜市市民活動支援センター4階セミナールーム(中区桜木町1-1-56)
「企画調整室の活動」(遠藤包嗣・前公益財団法人帆船日本丸記念財団副会長、元横浜市企画調整室勤務)
遠藤と申します。よろしくお願いします。レジュメの中に元横浜市企画調整室勤務とありますが、何せ、40年以上前の話になるので、この時代中心にお話しするのは、今回初めてになります。では、最初に、田村さんがいた時代と、それから、企画調整室の関係の話に入りたいと思います。私が企画調整室に入ったのが大学を出てすぐ、1971(昭和46)年の4月に入っています。そこで、76年の4月までの5年間、企画調整室にいましたので、ちょうど田村さんが企画調整室を作った後、6大事業をいろいろ動かすという「都市づくり」のための組織整備を積極的に手掛けていた時代になります。そういう意味で、企画調整室の5年間は、いろいろあり過ぎて、結構難しかったです。
「金沢地先埋立事業の課題と展開」(遠藤包嗣・同上)
次に金沢地先埋立事業に入ります。再確認ですけれども6大事業のうち「都心部強化事業」っていうのは民間主体でやりますということになっています。これは「みなとみらい21事業」をイメージしていただければいいのですが、もう土地が高くて手が出ない。民間の方たちがやりやすいように、かつ横浜にとってもベターなように、どうやって指導をするか、どういうふうにインセンティブを出せるかという課題がありました。
そのために「金沢地先埋立事業」というのは、基本的には代替地機能を相当持ちながら、横浜の企業立地、ないしは産業の高度化をうまく進める含みを持たせた事業になっています。今までは、土地を先に売る、予約販売、予約契約で事業費を捻出していたのです。横浜の根岸・本牧・ハ地区(注:根岸湾埋立事業第2期ハ地区、現在の鳥浜町)、そういう埋立事業は全て予約型で、予約契約で先にお金取って、それで工事をやって最終的に一部、土地代が上がりますから、儲かった利益を財政のほうに、当時、横浜は金なかったですから、埋立会計から大きな余剰金が財政に入っていたのです。でも今回、金沢地先埋立事業では土地は先に売りません。完成後に正規の値段で売ります。最初に工事に掛かる費用はドイツのマルク債を借りることで、これは今までの事業手法を大幅に見直した形になっています。
質疑応答
田村千尋:金沢埋立事業の、成功のポイントは何ですか。
遠藤包嗣:工場移転指導課が踏ん張ってくれたから金沢埋立事業が成功したと思います。理念を事業化したっていうのは、すごいエネルギーですよ。当時2000ある工場を全部回って、意欲ある移転して頑張りたいという企業をリストアップして、さらにもう一回、今度は、経営相談と経営指導のために回っているわけです。だから、本当に足で頑張ったのです。