「あいさつ」(田村眞生子)

 今日はみなさま、こんなにたくさんお集まりいただき、田村をはじめ、今、起きている様々な事を話し合う、充実した時間を持たせていただき、本当に嬉しいことで御座いました。わたくしも86歳になりまして、特に今年一年は心臓の動悸が激しく、今日もやっと出て来たという感じで御座います。続けてお話が出来る状態ではありませんので姪の猪俣祐子に代読させていただきたいと思います。このような形でのご挨拶で申し訳ありません。本日は本当にありがとうございました。

 姪の猪俣祐子です。代読させていただきます。

 

 田村明はこの世に与えられた命をどう生きるべきか、30歳半ばまで探し求めた時期がありました。幾つかの出会いの後、天職と思える「まちづくり、都市プランナー」という道が与えられたのです。とりわけ横浜市でのお仕事は彼の登竜門になったばかりでなく後に日本全国の様々な地域にお話をしに出かけ、自分の思いをお伝え出来るきっかけになりました。本人にとって大きな喜びだったでしょう。沢山の方からご支援をいただき、お付き合いをいただき、自分の思いを全うすることが出来ました。彼になり代わって改めて心よりお礼申し上げます。そして本日、お話いただいた鈴木伸治先生には田村が最も心血を注いでいた時期の書き物をお纏め頂きました。現在にも通じるであろう問題に目をむけ、ご選択いただき、それぞれ素晴らしい論評を頂きました。楽しげな装丁の本に仕上げて頂き嬉しい限りで御座います、有り難う御座いました。そして、高い視点からお話頂けた蓑原敬先生、いつも誠実な廣瀬良一前助役をはじめ、まちづくり塾、まちづくり協会、NPO、そしてお集まりのみなさまと、御議論いただき現在の大事な問題について考える有意義な時間をもたせていただきました。心から感謝を申し上げます。一粒の麦が地におちて多くの実りをもたらしますように、田村の思想や生き方に共鳴される方、ご理解いただける方、そしてそれが次の世代、若い方々にバトンタッチされますよう、なにかと不安で困難な時代が予感されますが、勇敢に立ち向かわれますよう、心から願っております。本日は本当にありがとうございました。

 私事でございますが、私も年をとりまして、菊名での一人暮らしもおぼつかなくなりましたので、これを機に菊名を手放して伊豆に移ることに致しました。山下公園時代と合わせて50年あまり、田村がこんなにも愛し、働かせていただいた横浜とお別れするのは、しのび難い思いもございますが、伊豆は10数年前から田村と折にふれて過ごしてまいりましたところです。気候は温暖で温泉もあり、目の前の緑の丘の向こうには、海が開け、伊豆大島、そして西には伊豆湿地帯もあり過ごしやすい所です。何より心の通う友人も待っていてくれてますので、俳句でも作りながら静かに暮らしていきたいと思っております。伊豆方面へお出かけの際には、どうぞお声をかけてくださいませ。ありがとうございました。

<司会>

 これにて、すべてのプログラムを完了することができました。スピーカーの先生方のすばらしいお話のおかげで、田村明からのメッセージやかなり色々な視点から明確に伝えられたのではないかと思っております。天上の田村明もきっと興味深い姿を、見守っていてくれているのではないかと思います。本日、すばらしいお話をしてくださったスピーカーの先生方に感謝と、このひと時をみなさまと一緒に共有することができたという喜びと、それから田村明からのメッセージを受け取りましたよという思いを込めて、天上の田村明に届くような盛大な拍手でこの会を締めくくりたいと思います。本日は長い時間、大変ありがとうございました。