まとめと次回予告 (寺田芳朗)
今日お配りしたA3のペーパーの、3つに分かれている右側の端の部分に私たち研究会の準備会のメンバーがこの1年間、歩いてきた経緯、歩きながら考えてきたことをまとめてあります。私たち4人だけではなくて、これまで有志の方10人、多い時は20人近くで集まって、この1年間、準備会を進めてきました。1年過ぎて、振り返って思い出すのは、私たちの議論には2つの大きなテーマがあったということです。
1つ目は「都市デザインとは何か」ということです。横浜市大の鈴木先生がまとめられた『都市デザインの現場から』という冊子は、横浜の都市デザインを担ってきた方々による連続講座の内容をまとめた講演録です。この講演録を読んでいて思うのは、廣瀬先生など講師の方のお話があった後に、聞き手の鈴木さんが「プロジェクト・コントロール・アーバンデザインが横浜の都市デザインの三本柱としてある。その大きなアーバンデザインという視点から見た時にそのお仕事にはどういう位置づけがあったのか?」という趣旨の質問を毎回必ずしているということです。つまりプロジェクト・コントロール・アーバンデザイン、この3つをどう総合化して、その事実を見るのかということをいつも問い返されているのです。これを読んでなるほどと思いました。つまり私たちは、そこを視点にして過去の事象をもう一回勉強しなおす必要があるのかなと思っています。
今、総合化と申し上げたのですが、僕らが田村先生から何度かお話を聞く中で、田村先生はいつも「それは地域性と総合性だよ」と言われていました。それで僕らは分かった気になっていましたが、この折々変幻自在の総合性というのが、それぞれのお話の中にどう生きていくのかというのが大事だと思っています。この点に関して、私たちははっきりとした明確な答えを持っていなかったので、それをもう一度探してみようということで、一年間かけて今回のような高速道路の話、あるいは元都市デザイン室室長の内藤惇之さんが語っておられた用途別容積制の話を振り返っていきました。準備会をこの1年間やってきて、研究会をやるたびに分からないことが増えていくような感じもあります。そして、もっとあれもこれもやりたいという話も出てきています。
今回、田口さんを中心に高速道路のことを色々調べていきました。田口さんは今日、随分それぞれの物語を割愛されてお話しされていましたが、今日のお話の中で、国、市の道路局、高速道路の担当者、さらには河川の方、緑政の方、地下鉄の方など沢山の主体がいて、それらが複雑に絡み合って高速道路の地下化という一つの物語をつくり出したということが明らかになったかと思います。最初は誰かがこちら側から歯車を回すと、みんなが引きずられてガラガラと動いたと思っていたのですが、どうもそうではないようです。それぞれの主体の方たちがそれぞれの守っていらっしゃる論理と矜持みたいなものがあって、それぞれが自分の物語を全うしながら、群像のように最後の高速道路の地下化というのができている、それが実際の姿のようです。つまり、高速道路の地下化という一つの事例を見るためには、複層的にたくさんの人たちの物語が折り重なっていることを認識したうえで勉強のし直しをしていく必要があるということが段々と分かってきました。
すると、先ほど井上さんがおっしゃられた「都市デザインって何なのだろう?」という疑問が議論の中心となってきます。つまり、私は茶色い赤レンガのタイルを1枚貼ることではなく、コトを動かすことが、田村先生がいっていた都市デザインのかたちなのだろうなと思うのです。それはさっき井上さんがおっしゃっていた、中間的な部分をどう動かしていったのかという疑問と通じる部分があります。私もそこに興味があって、先ほどから出ている物語をずっと追跡していく、すると田村先生にしても、それから道路を守っている方にしても、それぞれが状況をつくりだしているというのが分かります。つまり田村先生も立神さんもみんなが総意として「そういうふうにしていくのが一番いいよね」という状況をつくり出している。たくさんの主人公がそういう、コトを動かす都市デザインをそれぞれの局面からやっていて、布のように折り重なって今回の高速道路の地下化というのが見えてくる。そういう群像がきっと歴史なのだろう、という話をみんなでしました。
2つ目のテーマは、そういう中で、時には中心で、時には端の方で、時には潜って見えないところで田村先生は動かれたと思うのですが、そういうことをされた田村先生というのが、強い人であり、優しい人であり、とても思いやりのある人だったということです。それがどこからくるのかというのが疑問だったわけですが、千尋さんのお話を聞いていて、お父様は宣教師で、宣教師の矜持みたいなものを田村さんは遺伝子としてお持ちだったのではないかと思ったのです。きっと田村先生の中には、まちづくりというのを広めていこうという宣教師のような矜持がおありだったのではないかと思います。それから、聖書読書会をご自身が中心となってずっとやってこられた、そのことがお仕事を支えていた部分があったのかもしれない、という話も千尋さんとしました。
コトのデザインをする人、プランニングを動かす人は体の外側だけで働いているわけではなく、内側にその活動を支えているものがきっとあって物語を成立させているのだろうと思います。そのあたりの結論は出ていないのですが、状況を洗い出して話をしながら、こういうことではないだろうかと議論をしてきました。これからも結局結論は出ないのだろうと思いますが、テーマを挙げてそれを掘りかえしていく、そしてそれを私たちの認識に落としていくということを重ねていきたいと考えています。
次回、まだ誰が担当するかも決まっていないのですが、今準備会の中で挙がっているテーマが、先ほど申し上げた「用途別容積制度の意味とその顛末」をどう学び直せるのかということです。それをテーマに次の1年はやってみようかという話を始めています。この研究にご参加いただける方を募りますし、その他のテーマでも私たちにお話を聞かせてくださったり、研究会でご発表くださったりしていただけるようなことがあれば、一緒に学び直しをやっていきたいなと思っているところです。