その日、BankART KAIKOで開催されている都市デザイン横浜展には、幅広い世代の人たちが集っていました。研究会有志が進めている都市デザインに関する研究で目下取り組んでいるのは、ニュージーランドのオークランドで開催されるSAHANZ and UMPH groupの学会報告の準備。そのためのヒアリングに合わせて展覧会に足を運んできました。田村明をはじめとした企画調整室のメンバーによってはじめられた都市デザイン行政の50年の歴史の蓄積は少なくない成果を横浜の都市空間にもたらしてきました。また田村明が生涯をかけて語り続けた「まちづくり」という言葉は、いまや世の中にすっかり浸透したように見えます。都市をつくることにさまざまな人がさまざまな形で取り組んでいます。
横浜市の都市デザインには50年の歴史がある。当時それは革新的なコンセプトであったはずです。しかし裏を返せば、今の時代には古くさいものと言えないだろうか?そんなことを思う時があります。実際に岩崎駿介さんも当時考え出した都市デザインの7つの目標は「すでに過去のもの」として、新しい目標を提示しています。そのうえで展示会は「過去を振り返るのみで未来を展望せず、これから先どのような展開目指そうとしているのかがはっきりしない」と言います。現在の社会状況は50年前とは異なります。地球規模での人口問題、食糧危機、環境破壊…そうした事態に向き合っていかなければならない。また現在ウクライナで起きている悲劇にも見られるように、あるいは自然災害がそうであるように、都市は一瞬にして脆くも崩れ去ってしまうものであることを我々は痛いほど見せつけられています。
我々がヒアリングの中で印象深いと思ったのは、「流行りの言葉や概念ではなくて、あえて<都市デザイン>にこだわりたいというある担当者の方の言葉でした。さまざまな人がさまざまな形で都市をつくることに取り組む時代。価値観も社会状況もどんどん変わってしまう時代。そうしたなかで市役所ができることがきっとあるはず。それはおそらく空間のことを常に考えながら、そこに公共的価値を盛り込んでいくことだと言います。思えば、田村明も「市民の政府」としての自治体こそが「まちづくり」(ここで平仮名の…とか、運動としての…という言葉を田村明が敢えて言わなかったことの意味は改めて考えるべきだと思います)を進めていく主体であるべきと説いたのでした。
この先の展開がはっきりしている必要はないと思うのです。具体的なビジョンを出しても社会状況も価値観もどんどん変化していく。だから必要に応じて柔軟にそれを見直していく。その非定型流動性こそが半世紀もこの組織が存在してきた理由であるし、今後50年先、あるいは100年先を導いていくのではないでしょうか。ヒアリングを通じて、現実の様々な業務に追われるなかでも、そうした密かな熱いまちづくりに対する想いに触れて、我々は不思議と元気をもらえたような気がしたのでした。展覧会を訪れていた新しい時代を担っていく人たちがそうした想いに共鳴してくれることを勝手に願いながら馬車道をあとにしました。(青木淳弘)