NPO社員総会が終了しました

2024年6月11日(火)午後5時30分より、なか区民活動センター研修室1号で、当NPO法人の2023年度決算と事業報告そして役員改選、続いて2024年度事業計画について、社員総会が開催されました。

2023年度決算と事業報告は無事承認されました。

役員(理事と監事)の改選も行われ、全員(任期途中に後退した監事を含め)再任されました。なお、田村千尋役員より理事長辞任の申し入れがあり、再任された理事で臨時理事会を開催し互選により、遠藤包嗣(えんどうかねつぐ)役員の理事長就任が承認されました。副理事長は引き続き田口俊夫役員です。任期は今年7月1日より2年間となります。

また、2024年度事業計画も、学術研究を深め国内外の学会等で発表すること、その一環としての研究資料アーカイブを充実すること、また田村明の著書目録が完成したことで田村明の著書を読む「読書会」を定期的に開催することが決まりました。

次に、総会記念講演として、都市社会学の専門家である青木淳弘さんより、田村明研究の視座等についてお話がありました。

NPO法人 田村明記念・まちづくり研究会総会記念講演を終えて

青木 淳弘

  

 今回の記念講演は2024423日から27日かけて行われたUrban Affairs Associationのニューヨーク大会の報告と今後の課題を合わせて考えることを目的とした。今回のUAAの学会報告に限らないが、我々のNPOでは「企画調整」に関する研究を継続的に行ってきたが、その中から生まれてきた重要なコンセプトは、それは制度や組織ではなく、個人のなかに見出されるものということだ。研究をはじめた当初、田村明を中心として動き出した企画調整室はそれ自体がシステムとして検討されるべき対象だと考えていた。しかし研究を進めれば進めるほど、田村明と向き合った個人の姿がむしろ強調されていって、いわばシステムとしての企画調整というべきものの存在感は薄くなった。そこから私は「企画調整」というものを考えるときに、田村明と個人との「関係」の解明が不可欠であると考えるようになった。UAA大会報告と記念講演で提供した話題の中心もそこにある。

 今回の記念講演の後半の質疑応答ではそのことに関連する議論が展開され、まさにこのことを再確認する意味でも実り多いものであった。とりわけ「革新」という言葉が持つ独特のニュアンスについてどう捉えるのか、それはAnti-Conservativeなのか、Innovativeなものなのか、ということが提起されたことは象徴的である。議論の中で整理されてきたのはAnti-Conservativeは都市システム(=政治や経済的な側面)の問題であるが、Innovativeは自治体の仕事における変革の問題である。その両者が渾然一体となっていることがまず確認された。もちろん両者は並立可能なものである。しかしどちらの側面に焦点を当てるかによって「革新自治体」というものの見え方も変わってくるだろう。管見の限り、従来の「革新」といった場合にはもっぱら都市システムの問題がその主題に掲げられ、自治体の仕事はいわばサブシステムのようにそこに従属するものとして位置づけられてきた。しかし質疑応答でも出てきたように、「革新自治体」の代表的人物のひとりと目される飛鳥田一雄が横浜市長になったのは、社会党という文脈以上に、「ハマっ子」であったことが重要であるという。つまり「革新自治体」という看板がなかったとしても、やはり飛鳥田市政は「革新的」(この表現が誤解を招くのであれば「先進的」などと言い換えてもよい)であり得たのではないか。そしてこのことを前提としたときに、自治体の仕事、なかんずく田村明の実践や職員との関係(すなわちInnovative)の解明が意味を持ってくると思われる。

 私自身も当初田村明は「革新自治体」というシステムのなかに位置づけられて論じられるべき人物だという先入観を持っていた。しかしいまは田村明の実践や生み出された功績が、この「革新自治体」というラベルが貼られることで時代的に、あるいは特定の政治的な文脈に拘束されてしまっているという見方をしている。それゆえに私は「革新」とひとまとめにされているなかにある田村明のInnovativeな側面を慎重に抽出して、その要素を改めて批判的検討の俎上に乗せるべきであることを提唱したい。その一端については近いうちに発表したいと考えているが、重要なのは、田村明が「まちづくり」というものに込めた媒介的な役割である。しばしば「景観形成」や「都市デザイン」という視覚的にわかりやすいものを田村明の功績と結びつけて、そのための人づくりや仕組みづくりへの依って立つべき考え方として田村明のテクストが取り上げられる(=いわば技術論的な文脈への回収)。これは田村明自身のテクストの生み出し方のスタイルにも依るところがある。すなわち広汎な読者層を想定してわかりやすい事例を紹介すること、そして自ら手がけた横浜市の事例をそこに位置づけていることである。このことが「田村明=都市デザイン」という図式を固定化して再生産しているように思われる。しかし仔細にテクストを読み込み、その具体的な実践の詳細を研究してみると、田村明は「まちづくり」ということを媒介にした日常生活の充実を一貫して論じていることが見えてくる。我々はこのことを常に念頭におく必要があると思われる。田村明はある意味で自らの功績について禁欲的であり、その実践について詳細を語ってこなかった。あるいは自分のことを自分で書く、ということは難しいのかもしれない。そうであるならば、我々は田村明自身も気づかなかった田村明の実践の意義やその影響について発見することを課題に掲げるべきではないだろうか。このことが時代的な、あるいは特定の政治的/技術論的な文脈に固定化されている田村明のまちづくりをより普遍的な都市の理論へと昇華させる契機となるだろう。

  記念講演の最後にも論じたが、田村明が我々に与えた「宿題」に対して我々はこのように取り組むことによって、ようやくいまの時代に田村明を取り上げることの意味を見出せると私は考えている。継続的に行っている田村明のテクストの発掘と公開を中心としたアーカイブ化、またそれを前提にした公開読書会の開催はその意味でも重要な意味を持ってくる。そして固定化から解放された田村明のまちづくりの理論をより国際的な議論に結び付けていくこと。これらを我々NPOの今後の課題として提唱したい。