第3回田村明読書会

第3回田村明の市民論を読む(仮称)

田村明『都市行政から都市経営へ~都市経営論序説~』(世界362号岩波書店PP43‐56〈1976年1月〉

 実施の場所と期日(2024年6月24日横浜市役所1階横浜市市民協働推進センター

 参加者:遠藤包嗣、田口俊夫、檜槇貢

 

1978年秋に田村明さんから都市経営のことを教わった。都市における市民福祉の効果を最大化するための自治体システム形成こそが自治体主導の都市経営だということだった。40年以上も経ってそんなことを思い出している。

 

その頃、自治省と関連団体等が同じ都市経営という用語を使っていた。そのねらいは市町村行政の経営効率を高めるためのもので、企業経営をモデルとしていた。事務管理の機械化、コンピュータ導入、市町村長期計画の策定、PPBSの導入だった。小手先の技術的なものだった。その後に、東京都知事になった鈴木俊一さんが盛んに都市経営を唱えた。

 

この論稿は田村明さんが横浜市企画調整局長時代のものである。それにもかかわらず、横浜市のことはほとんど触れられていない。わが国の都市を襲う人口集中の波と構造的な中央集権体制における都市政策運営の課題が中心である。もっとも行間には横浜市の現実が見えなくもない。また、田村明さんの手練手管が垣間見えることも確かである。

 

田村明さんの都市経営はなにか。それは市民から発している。そして、「出入り自由のクラブ組織のようなものに似ている。しかし出入り自由でも、会員が作ったクラブであれば、規律も必要だし、会員個人のなすべき役割もある。」(56頁)と書いている。行政の文脈とは異なった市民から発したクラブ組織のような都市経営主体をイメージしていたのである。

 

具体的には、「自主的自治的な市民が育ち、市政を動かし、まさに都市経営の主体となり各市民もまた役割を分担するとき、自治体は市民のものとなる。」と書いた(56頁)。ここに田村明さんの市民論があると思う。

 

本稿のタイトルには副題として「都市経営論序説」とある。筆者の田村明さんはこの考え方が一般的ではないものの、市民論を基礎とした都市経営論をもっと深く描くことが必要だと告げられているようでならない。

(檜槇貢 2024年6月25日)

 

田村明の「市民論」は常に明快である。では、その詳細となると自分たちで新たに考えるしかない。果たして、すべての市民が田村の言うように「自覚ある市民」となるのだろうか、我々の議論では市民の歴史的かつ地縁的そして情報的に複雑な集団に複合的に属している。すべての市民が「自覚ある市民」になるわけではない。つまり、一部の自覚ある市民がいて、それを見守る多数の市民がいて、少数の社会生活環境的に参加できない市民がいる。そのような構図でないか、となった。また、田村の市民論は、つまるところ「自治体職員論」につながる前置きでないか、との意見もある。まだまだ、田村の論考を読み込んで、「分かったつもりの田村明像」を崩すしかない。(田口俊夫)