第6回田村明の市民論を読む

第6回田村明の市民論を読む

田村明「飛鳥田横浜市政が残したもの」地方行政8380号、PP.2-9 時事通信社1990.11

 

実施の場所と期日:(2024年8月13日15:00~17:00横浜市役所1階横浜市市民協働推進センター

参加者:遠藤包嗣、田口俊夫、檜槇貢

 

田村明さんは飛鳥田一雄さんの横浜市長時代のブレーンだったのか。この読後の率直な感想である。飛鳥田さんは1963年4月から1978年2月末までの16年の4期を横浜市長として務めた。その2期2年目の1968年に田村さんは企画調整部長として市役所入りし、10年間の横浜市地域プランナーを担った。

本論は飛鳥田さん逝去の1カ月後の1990年11月に発表された。この時期の田村さんは法政大学教授だった。本論の内容は飛鳥田横浜市政の自治体首長としての立ち位置、その意義と展望をまとめたている。飛鳥田横浜市政は市民自治の市政を体現し、「地域の時代」につながる都市政策と政策スタイルを創造した。それによって、「自治体を市民と地域に根差す政策主体として改革した」(7頁)ことである。飛鳥田さんなればこその仕事だった。

さて、田村さんは飛鳥田市長のブレーンだったのか。これを読んであらためてブレーンの定義を確認したくなった。ブレーンでもいいのだが、2人の関係は市民自治を標ぼうした横浜市の自治体づくりに向けた同志関係にあったということだ。もう少し、田村さんを通しての飛鳥田さんを学んでみたいという気分になっている。

 

次回は202 田村明:「市長・飛鳥田さんと私」地方自治通信(地方自治センター)pp39-42,1984.4

9月3日(火)15:00~17:00 会場:横浜市市民活動協働推進センター(市庁舎1階)開催

(檜槇貢 2024年8月14日)

 

きれいな整理、ありがとうございます。私も、当時を思い起こすと、田村さんと飛鳥田さんの関係が同志的関係に思えてきます。年は離れていますが、市民を意識した街づくりと、市民を主体とした自治体の在り方を、二人して実践しているようです。飛鳥田さんが、社会党委員長になった時、もしかして横浜市モデルの市民と政治の関係にチャレンジできていたらと空想してしまいます。中央の政治はイデオロギー過多で、飛鳥田さんのリアリズムが受け入れられなかったようです。そういう意味で、飛鳥田さんについても少し勉強したくなりました。(遠藤包嗣)

 

田村さんの論稿を読めば読むほど、飛鳥田市長なくして都市プランナー田村明も存在しなかったと理解できる。ブレーンなどという臨時的顧問のような薄い存在でなく、「市民と行政のあり方」を大改革する正に同志であった、と思う。我々NPO会員は田村さんのことを中心に勉強してきたが、意外と飛鳥田さんのことを知らないまま来ていた。勉強しようと心に決めた。(田口俊夫)