マチ歩き・本牧とみなとみらいMachi-walking

言語学の教授とその息子さん(建築専攻の大学生)をマチ歩きでご案内した。3月末、晴れているが花粉と黄砂が吹き荒れた日だった。

本牧は米軍が一般民有地を接収して家族用住宅を建てた場所で、1945年から1982年まで日本人は立ち入れなかった。今は丘全体が山頂公園となり、散歩をする人をよく見かける。山頂の尾根から本牧三渓園や昔だったら海まで望めた場所である。山頂公園が開園したのが1998年だった。教授はたまたま田村明と同じ内村鑑三の無教会派に属していて、その縁で我々NPOの存在を知ってくれた。教授はドイツ語が専門で、ドイツのまちづくりにも造詣がある。まちづくりには長い時間がかかり、そして多くの人々の思いが詰まっている。特に本牧のまちづくりでは、暴力的に接収され立ち退かされた地主たちの思いを、1963年に当選した飛鳥田一雄市長が受け止めた。そして、飛鳥田をサポートした都市プランナー田村明たちが地主や一般市民と協働することで、接収地の返還が実現しまちづくりが進められた。

午後にはみなとみらいを訪れた。1960年代当時盛んに活動していた造船所と貨物列車の操車場を移転してもらい、既存の関内地区と横浜駅地区を結ぶ新たな都心部をつくるのが目的だった。発想した田村明がまちづくりの方向性と移転の道筋をつくった。田村たちの活動をみて、それを継承する若手プランナーたちが市内外で育った。市長が交代しても、その方向性は継承された。だが、みなとみらいを訪れる人の中で、その歴史を知る人は極めて少ない。

 

言語学とは生きた学問で、極めて社会的な研究分野を含むことを初めて理解した。言語を媒介にして文化がつくられ、言語を媒介にしてマチがつくられる。人は言語を媒介にして成長する。ただし、言語は多様である。文字や音声に止まらず、表現することが言語である。伝えたい気持ちがあり、知りたい気持ちがないと言語は成立しない。大変に素晴らしい出会いを今回頂戴した。田村明が新たな出会いをプレゼントしてくれた、感謝したい。(文責:田口俊夫)