金沢埋立事業の歴史 History of Kanazawa reclamation project
企画調整室時代に金沢地先埋立事業の総合調整を担当した遠藤包嗣氏による「金沢地先埋立事業の歴史」に関する講演記録です。
遠藤包嗣氏による金沢地先埋立事業の研究報告は以下に掲載されています。
金沢地先埋立事業・関連資料 Related material of Kanazawa reclamation project
Paper written by Toshio Taguchi about the Industrial Development Restrictive Act related with the Kanazawa reclamation project
NPO会員の田口俊夫による論稿で、飛鳥田市長と田村明企画調整室長(後に局長)が如何に工業等制限法の指定地域に金沢地先埋立地を含ませないか、を画策した状況を研究した。
The first impression of Kanazawa reclamation project proposed by Akira Tamura in 1964 田村明による最初の金沢地先埋立事業の提案図
上記の画像は、1964年12月環境開発センターが横浜市に提案した所謂『六大事業』の一つ、金沢地先埋立計画のものです。 The first proposal of the Kanazawa reclamation project made by Akira Tamura of the Environmental Development Center in December 1964
金沢工業団地の経緯 The History of the Kanazawa Industrial Estate
金沢地先埋立事業の中核は、その「工業団地」の建設と運営です。一面、内側の住宅地の造成事業がアーバンデザイン的観点から話題になりますが、この埋立事業の目的は、市内にあった公害を発生する中小工場を集約移転して無公害化し、企業としても発展させることでした。その経緯が書かれた横浜市の研究雑誌である『調査季報』を転載させていただきます。
日本建築学会での発表論文・金沢工業団地への移転工場の跡地利用 An academic paper addressed at the Architectural Institute of Japan: a study about the old factory sites of the relocation process to the Kanazawa Industrial Estate
横浜金沢地先埋立地への内陸中小工場移転集団化事業に係る移転跡地活用状況調査
金沢地先埋立事業の中心課題は、内陸に散在する公害を発生する中小工場を、臨海部の埋立地に集団化して移転させ公害対策をした先端産業化することでした。槇文彦による住宅地設計ばかりが注目されますが、事業の中心はこの工場移転です。そして、移転した工場の跡地は地域の公共公益目的に沿って活用されるか、公害を発生しない用途に転換することが求められました。これまで、行政当局の記録でも移転プロセスについての記録はあるのですが、「工場跡地活用」についての記録はありませんでした。当該研究は、その跡地に着目したものです。
田口論文の日本建築学会での発表ビデオ
金沢工業団地分譲方針に関わる方針決裁書
1979年当時の市の内部文書です。田村明が企画調整局長を務めていた時代からの長い事業でしたが、田村が1978年に退任してからもその方針を受け継ぎ、やっと内陸工場の移転事業が開始されました。
金沢工業団地への分譲企業の内定に関わる方針決裁書
1980年当時の市の内部文書です。工業団地内の土地を進出工場に分譲する方針決裁書です。各工場の背景も書かれており興味深い資料です。
横浜市既成市街地整備計画(1957)
横浜市が策定した首都圏整備計画における横浜市の既成市街地の整備計画方針です。1957(昭和32)年からの方針内容です。
首都圏整備法施行令の一部改正(1972)
金沢地先埋立地を工業等制限法の除外地とするための根拠制度です。1972(昭和47)年、田中角栄首相時代です。