1859(安政6)年 横浜開港
1889(明治22)年 横浜に市制がしかれる
1923(大正12)年 関東大震災
1945(昭和20)年 横浜大空襲・終戦
市の中心部は進駐軍に接収される
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1963(昭和38)年 1月 田村明が環境開発センター計画部長に就任
1963(昭和38)年4月 飛鳥田一雄、横浜市長に初当選
1964(昭和39)年 環境開発センターとして、市に”六大事業”を提案
1965(昭和40)年 市長、六大事業を記者発表
1968(昭和43)年 企画調整室新設・田村明入庁
最初の仕事となった建設省との高速道路地下化交渉開始
横浜市宅地開発要綱を制定
市入庁以降わずか10年間でプロジェクト、コントロール、アーバンデザインのPhysical Planning三分野と、市民生活白書を基礎にした総合計画づくりと公害・医療福祉・ゴミ問題から行政の文化化などのSocial Planningまでを含む総合的な都市経営面で多くのことを成し遂げ、その後に継続する起点ともなった。自治体が市民的価値をベースに、主体的に地域づくりに取り組む体制を作りあげた。
1978(昭和53)年 飛鳥田市長退任、細郷道一市長就任、田村明企画調整局長職を解かれ技監職のみとなる
1981(昭和56)年 田村明、横浜市退職
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▲田村明がイメージした「企画調整機能」です。英文化とカラー化は田口が作成しました。
YLAP Yokohama Report "横浜の都市づくり-開港から21世紀へ”YLAP横浜レポート(日英両文)
田村明は1981年3月に横浜市を技監職で退職している。その翌年1982年6月9日から16日まで、横浜市と国連アジア太平洋社会委員会ESCAPの人間居住セクションとの共催で"アジア太平洋地域における自治体の都市づくりに関する国際会議(通称YLAP, the Regional Congress of Local Authorities for Development of Human Settlements in Asia and the Pacific)”が開催された。都市デザイン担当副主幹から国連ESCAP課長に転出した岩崎駿介が企画し、細郷道一市長の協力を得て開催した自治体と国連が共催する国際会議であった。当時の企画調整局が主体となって企画推進した。会議で発表された横浜市の都市づくりの内容のほとんどは、田村明とスタッフたちが企画調整局で推進したものであった。それゆえ、この記録を読むことで、田村明が横浜市在職時、実際に何をやったのか、を知ることができる。これ以外に、参加都市の都市状況をとりまとめた"Physical Profile of Cities in the ESCAP Region"がある。詳細は下のPDFをダンロードしてご覧下さい。
The actual work done by Akira Tamura during his era from 1968 until 1978 can be seen on the special booklet entitled “ YLAP Yokohama Report” prepared for the international conference held in Yokohama, 1982, supported by the City of Yokohama and in cooperation with the Human Settlement Section of the Economic and Social Commission for Asia and Pacific, ESCAP. Shunsuke Iwasaki, Director of ESCAP, who organized this conference was ex-chief urban designer of Yokohama city government. You can click the icons of PDF on the corner of Town Planning of Yokohama and download those. Tamura had to relinquish to work for the city government and leave the office in 1981 just before this meeting. However, the projects and works being presented there were mainly achieved by Tamura and his staff.
横浜市総合計画1985 The Comprehensive Plan of Yokohama 1985
1973年12月に発表された『横浜市総合計画1985』は、飛鳥田一雄市政で初めて田村明が企画調整局でまとめた実践的総合計画である。1985年を目標年次として設定し、それまでの都市づくりから社会福祉政策まで、すべての施策を具体的にどう進めるかを「絵に描いた餅」でなく説き起こしている。田村が常に批判した「積んで置いておくだけの分厚い総合計画書」ではない、実践的プログラムといえる。
1983(昭和58)年 みなとみらい21事業着工
1989(平成元)年 横浜博覧会(YES'89)開催
横浜ベイブリッジ開通
1990(平成2)年 高秀秀信市長就任
1993(平成5)年 横浜ランドマークタワー開業
1998(平成10)年 横浜ベイスターズ 日本シリーズ優勝
2002(平成14)年 中田宏市長就任
FIFAワールドカップ2002 横浜で決勝戦開催
赤レンガ倉庫・赤レンガパークオープン
2009(平成21)年 横浜開港150周年
象の鼻パークオープン
林文子市長就任
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